生い立ち2
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こんにちは、鶴橋なんばクリニック院長の灘波です。
前回の続きです。
医学部に行きたいと大学3回生のときに初めて決意をし、そこから受験勉強を始めました。
薬学部も卒業するための勉強も当然必要でなかなか受験勉強もはかどりませんでしたがなんとか医学部を受験しても恥ずかしくないレベルになり、選択した科目が他の選択科目と比べて点数を取りやすかったこともあり、なんとか合格しました。(本当に補欠合格でした。)
当時の大阪医科大学は、他の大学の単位を認めておらず語学はもちろんのこと体育の単位まで取らなければいけませんでした。
そんなこんなで、6回生になり卒後どうするかを決めなくてはなりません。
当時は今と違い、研修は必須ではありませんでしたし、研修病院の定員などもあってないようなものであり卒後ほとんどの卒業生は大学病院で研修していました。
なので、どこの診療科に行くか、どこの大学で研修するかをいろいろと考えていました。
薬学も卒業していましたので、内科系の診療科に行くことは決めていましたがそれ以上は正直良くわからないという感じでした。
当時、腫瘍内科と言う概念はあったのかも知れませんが学生で知っているものはほとんどおらず、いろいろな選択肢のある内科系に入局しようと考えました。
大阪医科大学の第一内科が第一候補、他の大学は他大学出身者は外様ともよばれ、自分の大学出身者より冷遇されるとの話もあり情報収集していました。
その中で、大阪大学の第三内科は比較的、他大学出身者に対しても冷たくなく、消化器、免疫、血液、呼吸器、循環器、内分泌とさまざまな勉強ができ、実際研修した後に専門分野を決めればいい事がわかり、大阪大学の第三内科での研修をお願いすることになりました。
続く