刀根山病院は、大正6年に元結核療養所として設立され、100年以上の歴史を有し、結核病学会の設立にも関与しています。主に結核を中心とした呼吸器の治療を行っています。肺結核の研究において、肺に空洞ができる原因がアレルギー反応に関与していることが証明した由緒ある病院で、結核病学会の設立にも関係しているそうです。
刀根山病院では、気管支鏡検査年間700例など、これまでの施設と比較して非常に多くの患者さんが受診しています。年間には20〜30名ほどの肺がん患者さんを担当し、治療を行いながら患者さんの個性や生き様を学び、人生の勉強になったことを覚えています。
呼吸器疾患の中でもがん患者さんの役に立ちたいとの思いから、私は肺がんを含む呼吸器腫瘍を専門とする道を選びました。
当時、新薬として注目を集めた肺がん治療薬『イレッサ』の承認がありました。承認前はマスメディアでも多く取り上げられ早く承認すべき薬剤だとの報道がなされていました。これは、白血球が減って重篤な感染症を起こしたりとか、吐気などの副作用がほとんどない飲み薬であったためでした。
一般的には、第Ⅲ相試験という今の標準的な治療と比較して良い結果を出さないと承認されないのですが、副作用が軽いと思われていたこととなどからイレッサは単独の第Ⅱ相試験で承認された薬剤でした。ただし、今までの抗がん剤のような副作用はないのですが、薬剤性肺炎という副作用が数%に起こり中には命を落とす方もいらっしゃることがわかりました。
すると、マスメディアはこんな薬をなぜ承認したのか、承認取り消しを望むとか、いままでは早く承認しろとか報道していたのですが、手のひらを返したような対応で実際に承認取り消しも議論されていました。ただ、現場で実際に使ってみると医師が驚くほど効果のある方もおり承認取り消しはありえないと感じていました。
イレッサをとおして一つの時代を創り上げた薬剤、分子標的薬という新しい分野の創世記の薬剤に出会うことができました。非常に良い経験ができたと思います。
臨床腫瘍学会はこの頃は研究会、簡単に言うと臨床腫瘍に興味を持つ医師たちの集まりであり同好会と何ら変わらない集団でしたが、このころに学会になり正式に広く活動を始めました。
この頃までは臓器別の専門医ががん治療をおこなっていましたが、どんながんでも扱う医師のための集団となりました。呼吸器でがんを専門としようと考えていた私は、使う抗がん剤は同じような薬剤が多いし肺がんなど呼吸器以外のがんに対する興味も湧いてきました。